紙器組合について -組合の自治会史-
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東京紙器工業組合の自治会史

昭和35年当時、東京紙器工業組合支部の構成を自治会と呼んでいたようで、現在は統廃合によりその名称が変更された支部(会)もある。下記にその足跡を記すものとする。

 

「江戸川紙器親和会」
昭和30年、葛飾区、江戸川区、近接地域の有志業者が集まって結成。会長は長谷川仁助氏。

「江東紙器同志会」
昭和2年、奥野隆一氏を会長に設立。会長以下、大古田梅太氏などの尽力により発展。

「江東紙器共栄会」
この組織は昭和5年、江東紙器同志会のなかの有志42名をもって組織結成された。目的は原材料板紙の共同購入であった。例会は貸席などない時代で、業平の湯本仲治氏の自宅で行われていた。

「葛飾紙器親交会」
大正3年頃、東京府西葛飾郡と呼ばれたこの一帯は「茫洋たる水田と蓮田の連なる葛飾」といわれるほどのところであった。セルロイドの葛飾といわれる一帯に箱屋が出来始め、これを機に親交会の基盤づくりが進められていった。

「下谷紙器交友会」
大正14年に下谷紙器正交会」が設立された。設立後は会員同士の情報交換を密にして、同業者相互の営業の協調を主目的に本組合の事業にも協力していった。共存共栄の本義に立脚して、原材料・板紙の共同購入、屑の共同販売事業を推進した。昭和11年には会員73名となった。

「浅草紙器信愛会」
浅草紙器同業信愛会が結成されたのは大正9年6月であった。区内業者の栗原氏は和田、勝村、岡田、島の諸氏と相寄り、区内同業者を結集した。初代会長には荒川庄平氏が就任、創立当時の会員は80名を数えた。

「北区紙器融和会」
北区内に存在する紙器業者の親睦を深め、相互協力の実を結集しようとする機運がはっきりしてきたのは、昭和28年ころであった。同年6月、王子飛鳥山で創立総会を開催、会長に野上義雄氏、副会長に青木雄三郎氏、鈴木長三郎氏が就任した。

「城北紙器紙友会」
昭和22年春に紙友会の発起人会が開催された。紙友会は当初、東京都紙器協同組合の組合員をもって組織されていたが、会員のうち転出者があったりして24年に現在の組織体に改組した。創立時の会長は山本春雄氏、副会長は外川知司氏、野上義雄氏。

「文京紙器協和会」
昭和7年、住田片郎氏、中島安治郎氏ほかの諸氏が中心となって本郷地区に存在する紙器業者を結合しようと、本郷小石川紙器同業昭栄会を発足させた。これが協和会の前身となった。

「中央紙器倶楽部」
この前身は中央会および神田会に始まるが、戦前戦後を通じて中心地の唯一の親睦団体として活動してきた。昭和24年この二つが合併し今日の基礎を築くことになった。

「城南紙器振興会」
紙器工業の伸長によって城南方面における紙器製造業者はその数を増やし、大正13年に創立発起人会を開催して、品川、大井、大森、蒲田、大崎、目黒、荏原地区を一体とする自治会を作ることになった。初代会長は山田源太郎、尾下樋次郎の両氏。

「牛込紙器交友会」
大正8年、牛込倶楽部で創立総会を開催した。この会では原料板紙の共同購入、師弟職工の統制および使用条件、従業員共同慰安会、顧客争奪の防止など。初代会長は水野親昌氏。

「城西紙器同和会」
武蔵野と言われた城西地区も繁華街が林立、昔の面影を残さないまでに発展した。紙器業者の数も地価が安いためか増え、昭和8年に創立総会を開催した。会長には岩井伊三郎氏。

「足立紙器工業会」
大正9年、足立地区における紙器業の開祖は塚原文平氏がロータリー、角切機の設備で開業したというが、隅田川に帆をあげてかよう舟を見られた時代であった。昭和12年に同業者のための組織として足立紙器同業組合が足立氏を代表に設立されたが、当時は20名ほどの構成であった。

「荒川紙器正興会」
荒川区はいわゆる環状道路が区の中央部を貫いていて、その交通はきわめて頻繁なものがあった。紙器業者の数も増え、共存共栄の体制を、組織によって確立しようという機運から、昭和8年にこの会が設立された。初代会長は林二三氏。


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